昭和の日

  • 2008/04/29(火) 09:17:54

 今日は昭和の日。
 昭和天皇の遺徳を偲んで設けられたこの祝日ですが、当初は、みどりの日として公布されていたものを昨年より名称変更し、「昭和の日」となりました。
 個人的には、この名称の方がしっくりするような感じがしますが、皆さんはいかがでしょうか?
 写真は、2階のベランダに掲げた日の丸です。
 しかし、日の丸を掲げるお宅は本当に少ないですね。
私の配達コース上では、交番等を除いてたったの2軒でした。
 祝祭日には、国旗を掲げましょう!


ということで、本日の記事紹介です。
2008/04/29付 世界日報6・7面 「昭和の日」特集 
素顔の昭和天皇を偲ぶ

鼎談
元宮内庁侍従職 牧野名助氏(中)
元皇室カメラマン 瓜生 浩氏(左)
元三越チーフデザイナー 奥山孝夫氏(右)









 国家の繁栄と国民の幸福を祈られ、文字通り国民と苦楽を共にされた昭和天皇。昭和天皇の誕生日が国民の祝日「昭和の日」となって1年目を機に、内舎人(うどねり)として長年、昭和天皇に身近に仕えてきた元宮内庁内廷係長・牧野名助さん、元皇室カメラマン・瓜生浩さん、昭和天皇の洋服デザイナーで元三越本店紳士服チーフデザイナーの奥山孝夫さんに、素顔の昭和天皇を偲(しの)んでいただいた。           司会=文化部長・藤橋 進

 ――きょうは内舎人として長く昭和天皇に仕えてこられた牧野さんと、皇室カメラマンとしてカメラのレンズを通して陛下をずっと見てこられた瓜生さん、そして三越の紳士服チーフデザイナーとして陛下のお洋服を作ってこられた奥山さんの三人に、お近くから見た素顔の昭和天皇について、とっておきのエピソードなど交えてお話しいただければと思います。世界日報には昨年、奥山さんに「陛下のお仮縫い」を連載していただきましたが、牧野さんが前に書かれた文章を拝見しますと、昭和天皇は洋服のことに関しては基本的に側近の方にお任せになって、あまり好き嫌いはおっしゃらなかったようですね。

牧野 実際そうですね。一切お任せという形で、特にご希望はありませんでしたね。で、陛下ご自身、もったいないとか、そういうお考えがあって、新調するのがあまりお好きでない。しかし、年に少なくとも何着かはお作りしていかないと、いろいろ体面上具合が悪いわけです。その点を卜部亮吾侍従がしっかりと申し上げて、そしてしぶしぶ承知を頂いたわけです。

 ――学習院時代の乃木院長の薫陶もあって、基本的に非常に質素なお方であったと。

牧野 質素です。本当に質素な方ですから、例えばこういう椅子の張り替えなんかもお許しを得ないとできない。普通なら役所のことですから、耐用年数が来ればすぐ取り替えるんですけど、それもいちいちお伺いを立てないとできない。

 それで公式行事や宮殿の行事がある場合は、こちらで用意したものをきちんとお召しいただくわけですが、それでいい洋服を着られた時は必ず「取り替えるかい、終わってから」とこういうことをおっしゃいます。こちらは「取り替えなくてもよろしゅうございます」とかその時その時のお答えをするのですが、陛下としては、いい洋服を汚してはいけないというご配慮があったものと思います。
     ---------------(略)----------------

 ――瓜生さんは、いろんなお出ましの時に、さまざまな風景の中で陛下の写真を撮ってこられたわけですね。

瓜生 カメラマンとして、一番昭和天皇の撮影で困ったのは、季節の問題です。ちょうど今ごろのお誕生日用のお写真、それと五月の植樹祭、十月の国体と大きく三つしか撮影する機会は無いわけです。だから季節的にいつも決まった所しか撮れないというのが、一番残念でした。

奥山 でも、いいポーズでお撮りになりましたね。

瓜生 昭和天皇は、カメラマンにも非常に協力してくださった。卜部さんなんかも非常に気を使って、うまく撮れるようにうまく撮れるようにとやってくださった。例えば、誕生日用の写真の撮影ですと、今年は東御苑でやろうとか場所を大体指定され、東御苑なんか広いですから、ツツジが咲いている所、あるいは桜のある所と何カ所かで撮らしてもらうように打ち合わせておく。それで撮影場所が決まったら、次はカメラマンの位置を全部決めて、陛下のお出ましを待つわけです。宮内記者会と違って私たちの場合は大体代表撮影ですから、カメラマン一人か二人でもって雑誌十五社の全部を撮らなくちゃいけない。だからうんと数を撮らないといけないから実際大変なんです。ただ昭和天皇はすごく協力してくださったですね。

 ――どういうふうに協力をしてくださるんですか。

瓜生 結局、みんなで待ってて撮るんですが、お出ましになったところを、みんながバーッと撮り始める。そうすると陛下も「これはお芝居ね」とおっしゃって……。

牧野 お芝居(笑い)。

瓜生 花を手に取って見てくださったり、ポーズを取ってくださるわけです。それをみんなでバーッと撮るわけです。ちょっと動かれてももちろん撮るわけです。だから、陛下がちょっと動かれるとワーッとシャッターを切るわけですね。だからいつまでたっても終わらない。「もういいかい」と言われて困ったことがある(笑い)。「結構でございます」(笑い)。

 ――「お芝居で」というのは、ポーズを取られる前に言われるんですか。

瓜生 そういう時もあるし、みんながもう一度シャッターチャンスを欲しがって、後ろに卜部さんとか総務課の人がいて「ちょっとこっち」なんてみんなでやると、結構見ててくださって、そっちにこうやってくださったりね。

牧野 陛下のサービス精神ですね。

      ---------------(略)----------------

 ――確かディズニーの腕時計が話題になりましたけど、あれは特別な……。

牧野 あれはディズニーランドから献上になった時計でして、それがカメラに撮られまして、それからやめちゃったんです。

瓜生 一時やめられて、また……お好きだったと思うんですけど。

牧野 大好きでした。実はあれは、電池を替えなきゃならないんですよ。そのために、マスコミの方から、「どうしてるんだ」ということがありましたので、故障してるんだということにしたんですね。そしたらディズニーの本社とタイメックスからまた送ってきたんです(笑い)。昭和記念館の中にありますし、あとは京都の東山御文庫に保存されていると思います。

瓜生 一時期それをお使いにならなかった。で、随分後になって、またしてらっしゃった。「あ、やってる」(笑い)と。

牧野 普段でも、特に用の無い時は懐中時計とディズニーをお使いでした。

瓜生 普段でも使ってらっしゃった。

牧野 宮殿に行きましてね、今日はこれからいろんな行事があるという時は時計を外されるんです。重たいですしね。で、外されて、そのまま忘れてご公務室に入られちゃうと「ちょっと、あれ取ってくれ」とこうくるわけですよ。そうするとディズニーの時計だってすぐ分かるわけです。「ディズニーの時計取ってくれ」なんてことはおっしゃらない。「じゃあ、あれでございますね」「そうだよ」っていうんで「あれを持ってきました」(笑い)。これであうんの呼吸になるわけですね。

奥山 あのディズニーの時計は、お洋服すべてにマッチしているんですね。セパレーツのお洋服に赤いネクタイとかね。

牧野 ご訪米の最後の訪問地ハワイでは、アロハシャツをお召しになる予定でしたが、残念なことに、陛下が風邪でお疲れになったため、実現しませんでした。シルクのサテンのシャツで、その生地でパナマ帽のリボンも作り、バミューダショーツと一緒にお使いいただく予定でした。でもディズニーとハワイの服は奥山傑作選です。あと、いい服だなと思ったのは、須崎御用邸でお召しになったシルクのショートコート。

 ――今でこそ、ショートコートばやりですが、あのころは、大変珍しかったんじゃないですか。

奥山 そうですね。ですから大英断だったわけですね。

牧野 あれは歴史に残るいい服装でした。

      ---------------(略)---------------- 

The Sekai Nippo Co.,Ltd. 1975- Tokyo,Japan

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