8/15〜靖国神社

  • 2010/08/15(日) 23:18:54

 終戦65年目の暑い夏〜8月15日(日)。今年も恒例の靖国神社の参拝に行ってまいりました。なぜかこの日は、毎年うだるような暑い日になりますが、本当に多くの方々が訪れます。
 
 きっと心の奥底にある英霊への思い、そして英霊からの思いが共鳴しあって、多くの魂を呼び寄せるのではないかと思います。


参拝に来られた多くの方たち

特攻勇士の像と碑

 西村塾の方たち&ちょっとこわ面の方たち。

お堀を埋め尽くす蓮と右翼を取り囲む警官
 
今回は、遊就館ではなく昭和館を見学してきました。(当日配布のビラと)

2010/8/15付 世界日報3面 【社説】
終戦の日/戦争と平和、歴史への洞察を

 きょうは終戦の日。先の大戦の終結から65年が経過した。国家に殉じ、犠牲となった300万同胞の霊に深い鎮魂の祈りを捧(ささ)げたい。
冷静な検証妨げた敗北

 戦後日本は、いわゆる平和国家として再出発し、焦土の中から奇跡の復興を成し遂げた。その復興の土台には、これら同胞の尊い犠牲があったことを忘れてはならない。その戦いの正当性に疑問があったとしても、多くの日本人が示した同胞愛と国家への献身は尊いものであり、後世に語り継ぐべきものだ。

 先の大戦は、日本がそれまで経験したことのない未曽有の出来事であった。近代国家として出発して以来、対外戦争での初めての敗北でもあった。その衝撃は、あまりに大きかった。

 その敗戦ショックは、明治の開国以来いわば連戦連勝の日本を戒め、目覚めさせることになった。と同時に、冷静にその事実を検証することを妨げたのも事実である。日本の精神的武装解除を狙った連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策がそれに輪をかけた。歴史の本当の評価には、最低100年を要するという説がある。いずれにしても、歴史の評価において重要なことは、客観的で正確な史実に基づくこと、そして、日本人自身が主体的に判断することである。

 主体的とは決して主観的ということではなく、その道義的な意味や責任に対して積極的に対処する覚悟を持つことだ。他国への外交的配慮は必要だが、あくまで二義的なものである。

 先の大戦で、戦場へ赴いた人々、銃後の守りに就いた人々、いわゆる戦争体験者も年を追うごとに少なくなっていく。まだ語り尽くされていない戦争の真実は数多くあるに違いない。それらの証言をできるだけ多く、正確に記録しておくことは、将来の歴史評価のために重要だ。

 明治の開国以来、日本は独立を守り、欧米列強に追いつくため富国強兵の道を走ってきた。弱肉強食の帝国主義の時代の真っただ中で、東洋の近代国家として登場した日本が取り得る選択肢は実際、限られていた。

 この大戦を批判的に形容するものとして、あの無謀な戦争という言葉がある。確かに日本の国力などを考えた時、それは勝ち目のない戦争だったかもしれない。問題は、無謀と思われる戦争になぜ突入していったのか、あるいはいかざるを得なかったのかということだ。歴史の深い洞察によってしかこの解答は得られないのではないか。

 それを後世の者が、リアリズム(現実主義)の立場から批判するのは簡単である。時代や抱える問題は違うが、今の日本の指導者が、政治的なリアリズムの観点から、的確に国家の行く方向を舵(かじ)取りしているとは思えない。ムードや空気に流されてしまう傾向は、ほとんど変わっていないように見える。

問われる勇気と現実主義


 戦争と平和の問題も単純ではない。戦後、日本が平和を享受できた大前提であった冷戦構造は崩壊した。この難しい時代、平和を保つために、日本はどうすべきなのか。それはリーダーがいかに勇気を持って、現実主義の政策を進めることができるかに懸かっている。

The Sekai Nippo Co.,Ltd. 1975- Tokyo,Japan

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重要な事実を伝えない戦史番組

毎年8月恒例の「もう2度と戦争はいたしません!」とばかりの1億3000万人の総懺悔週間がやっと終わった。

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