東アジア激動の100年に立つ

  • 2010/01/01(金) 13:42:22

 平成22年、皇紀2670年、新年明けましておめでとうございます。良き1年となりますように。




2010/1/1付 世界日報16面 【ビューポイント】
東アジア激動の100年に立つ

203高地を恥じた中国


   麗澤大学教授 評論家 松本健一

 2009年晩秋の一日、わたしは中国・大連市郊外の旅順で、爾霊山(にれいさん)にのぼった。爾霊山は、日露戦争中、最大の激戦地だったと伝えられる旅順要塞203高地のことである。

 その軍事上の地名に「爾霊山」の字をあてたのは、満州軍第3軍司令官として旅順攻略を担当し、ここで1万5000をこえる戦死者を出した、乃木希典(陸軍大将)だった。乃木は戦闘がまったく止んだあと、君たち死者の霊がねむる山、という意味の漢字をあてたのである。

 203高地という軍事上の地名は、これが旅順軍港を見下ろす標高203メートルの山であったからだ。それほど高い山ではない。しかし、ここにのぼれば、東方正面に旅順軍港を見下ろし、そのさきの渤海まで見渡すことができる。それゆえ、旅順港に入ってくる軍艦もすべて視界に収めることができるのである。

 わたしがこの爾霊山にいちどはのぼってみたいとおもったのは、2009年11月29日から始まったNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の諮問委員であり、また『明治天皇という人』(毎日新聞「本の時間」)という連載で、乃木将軍の203高地占領を扱っていたからでもある。そんな切実な思いから爾霊山にのぼってみたところ、そこはいまや観光地と化しており、中国各地からの若い女性がミニスカートとロングブーツで闊歩していた。これが旅順攻略戦105年後の実景だった…

 しかし、その203高地の頂きには、そんな女性観光客にも目につくように大きな文字の掲示板が立てられていた。いわく「歴史を銘記し、国恥を忘る忽れ」、と。

 日本とロシアが戦った要塞の地が、なぜ中国の「国の恥」なのか。戦闘ののち日本がこの地を支配したことが「国の恥」なら、そのまえにロシアがここに要塞を築いた過去もまた「国の恥」なのだろう。つまり、本来中国の地である旅順で日露が戦いその領有を争ったことを、中国民族は恥と考えているにちがいない。そんなことを思っていると、この100年あまりの東アジアの激動の歴史が改めて脳裏に甦ってきた。

韓国では「天皇訪韓」に関心


 じつは、わたしはその1カ月ほどまえ、韓国ソウルの国民大学で講演したとき、大学人たちから次のような質問をされていた。――日本の天皇は韓国訪問をしたい、と希望を述べているらしいのですが、来年(2010年)の天皇訪韓は実現しますか、と。

 来年? それは韓国併合(1910年)の百年にあたる年ではないか。その年に天皇の韓国訪問がおこなわれるということは、きわめて政治的な事象になるにちがいない。なぜなら、天皇は当然のことながら、ちょうど百年まえの韓国併合に言及せざるをえなくなるからだ。

 昭和天皇のばあいは、「対支二十一ヵ条の要求」(1915年)にはじまる、日本の中国大陸への進出を侵略と考えていた。それゆえ、1978年10月に初の中国要人として来日した”小平副首相に対して、「わが国はお国に対して、数々の不都合なことをして迷惑をかけ、心から遺憾に思います。ひとえに私の責任です」とおわびの言葉をのべたのだった。

 一方、天皇は韓国に対して、その併合が1910年(明治43年)の「日韓併合条約」という国際条約にのっとっているかぎりにおいて、それが不平等条約であるという事実は認めるにしても、中国問題と別次元のことと考えていたようである。

昭和天皇が亡くなってまもなく(1989年)、宮内庁式部官長だった安部勲(元国連大使)は、次のように語っていた。「昭和天皇の考え方は、(他国の)国民に迷惑をかけたというのは、中国だけなんです。……散々迷惑をかけた。これははっきりしている。韓国はまた別なんです。日本は当時、統治していたわけですから、いい話と悪い話と両方あるわけです。いろいろ悪いところがあった。それはそれで謝らなくてはいけないが、中国とは違う、という考え方です」、と。

 こういった昭和天皇の考え方を、今上天皇がどのように受けとめられているのか。その判断を下したうえでないと、2010年の天皇訪韓は実現しないだろう。私が現在『明治天皇という人』を連載中であることについてはすでにふれたが、その執筆過程で、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)が韓国併合にふれた次のような歌を詠んでいることも目にした。

 日の本の国ひろごるのみのりぶみ(御告文)神もうれしとうけたまふらむ

 皇后は、当時の日本国民の多くと同じように、韓国併合を「日の本の国」がひろがる慶事と感じていたのである。

 2010年はその韓国併合から百年、そうして11年は中国の辛亥革命百年、12年は中華民国百年、15年は「対支二十一ヵ条の要求」百年……とつづいて、19年には3・1運動(朝鮮独立万歳事件)百年がくる。こういった東アジア激動の100年を振り返る日々に、わたしたちは今いるのである。

The Sekai Nippo Co.,Ltd. 1975- Tokyo,Japan

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