科学を装うダーウィニズム

  • 2009/10/19(月) 11:04:22

 面白いポスターを見つけました。「マルクスは生きている」 
う〜んじつにストレートにらしさを出していて、心憎いほどのアピール度です。もちろんどっこい俺も生きているんだという不破さん自身の心の叫びも感じられ、思わず応援したくなりました(笑)たまには連立を組んで政権に入ってみたらどうなんだろうと他人事ながら思うんですけどね…。




 それでは、本日の記事紹介です。ここにもマルキシズムが生きています。
2009/10/19付 世界日報16面 【ビューポイント】
科学を装うダーウィニズム

 唯物論で社会を「洗脳」

     京都大学名誉教授 渡辺 久義


 本紙記者原田正氏と私の共著になる新著『ダーウィニズム150年の偽装』の「あとがき」に、私は「(これは世直しの本のつもりだが)あるいは、私たちの提言は根本的に間違っている、これはかえって世の中を悪くする方向だと、心底から考える人があるかもしれない。それならそれで、しっかりした根拠のある論陣を張っていただきたい」と書いた。

 これは挑戦的に聞こえるかもしれないが、私の心からの叫びと言ってもよい。いったいなぜこういうことがこれまでまかり通ってきたか私には不思議でしようがないのだが、そうは考えない人、私たちの考え方が根本的に(部分的にではない)間違っていて、こういう本が世に出ることを心から憂慮する、と考える人がきっとあるのだろう。

もしあるなら是非とも心を割って話がしてみたいという真率な気持ちからこう書いた。この本で主張しているようなことは、これまで学問上も教育上も間違った考え方として否定され、事実上論ずることさえ禁止されてきたのだから、きっと私たちの心得違いを諄々と説いて聞かせようとする「正統派」の人がいるはずで、そういう人の出現をむしろ期待する。

ただアメリカの反ID論者のように問答無用で頭ごなしに退けるようなことはしないでほしい、という気持ちを込めてこう書いた…

 この本の主張を簡単に言えば、宗教と科学が対立するというのは作為的なウソで、有神論的科学と無神論的科学の対立があるだけであり、前者の方が仮説としてはるかに合理的だということである。

そのような考え方が有力になってきた証拠として、これまでタブーとされてきた「神」という言葉をタイトルに含む科学者の本がこのところ目白押しである事実をあげることもできる。唯物論というのは明らかに迷信である。

 学者一般人を問わず、人の意識というものは不思議なもので、ある文化環境の中では「考えられない」非常識であったものが、誰かが思い切ってタブーを破ると、今度は逆にそれが当然の常識になる。人は文化的に禁止されていることを考えることができず、禁止されているということに気付きもしない。

有神論的科学の考え禁じる


 今から数十年も前になるが、私が教えていた英語の教科書に「目的論的宇宙観」という言葉が出てきて、私も自信がないままに「こういう考え方がむしろ正しいのではないか」と言ったところ、学生の何人かがニヤリと笑ったその顔を忘れることができない。

当時、唯物論の全盛時代であり、宇宙は機械でなければならなかった。今、目的論はほとんど常識になりつつある。いかにID=悪者宣伝があったとしても、生命のための宇宙的・地球的諸条件の微調整の話くらいは今の学生は聞いているであろうし、これは認めざるを得ないものである。

 同じころ、ある理学部の学生が私の研究室へやってきて、話題が生命の話に及んだ。当時私は今ほど生命についてはっきりした考えをもっておらず、どう話したか覚えていない。しかしその学生は、私の話を聞いてやっと生命というものがわかったような気がする、これで安心して生物学科へ進むことができる、と言って帰っていった。

生物学者の仕事は生命現象をとにかく唯物論的に還元することで、生命とは何かを問うことではない、というのが当時から(おそらく現在も)学問上の掟であった事情がわかるだろう。生命とは何かを問うことは宗教的次元に半ば足を踏み入れることであり、これは学者的生命にかかわる「厳禁」事項なのである。

 私たちの新著は、社会的な唯物論・無神論的「洗脳」の過程の分析だと言うこともできる。洗脳とは一つのイデオロギーを絶対的真理として教え込み、これに疑問を抱いたり逆らったりする者があれば、これを精神異常者として強制入院させたりすることである。

ダーウィニズムとは、すべての人がそのような洗脳によって教え込まれ、それが見事に成功した例である。リチャード・ドーキンズの「ダーウィニズムを疑うような者は異常者だ」という言葉にそれは現れている。誰しも異常者だと言われたくないから体制に従うという奇妙な構図ができあがったのが、ダーウィニズム(あるいはもっと広く無神論科学)支配体制である。

 理論というものは真理に迫るための道具であって、観察的事実がそれに合わなければ棄てなければならない。ところがダーウィニストにとっては、ダーウィン進化論という理論が御本尊であって真理はこれに従わなければならない。

現実世界を知るための仮の道具であるはずの理論が、世界を征服するため、世界を意に従わせるための武器になっているのである。これは王(=真理)より飛車(=理論)を可愛がるという本末転倒の典型であるが、無神論文化体制においてはそもそも迫るべき真理というものがない。

つまり人間の頭脳を超えるものを認めないのだから、ダーウィニズムに限らず、人間の考え出した理論が真理として君臨することになるのである。

The Sekai Nippo Co.,Ltd. 1975- Tokyo,Japan

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