国家に依存し寄生する精神

  • 2009/04/08(水) 20:48:08

 今年はめずらしく桜の開花が遅れ、おかげで入学式が満開のもとで行われました。こういう光景を見るのは久しぶりのような気がします。

お花見の宴会もまだまだいけそうな様子。不景気のなか、せめてもの自然からの慰めに感謝したいと思います。

 (写真は、神田川沿いに咲く桜)


 それでは、本日の記事紹介です。保守派からは何かといちゃもんをつけられ、いまいち理解しがたい評論も出す淳ちゃんですが、今日の記事はいいです。

2009/4/8付 世界日報16面 【ビューポイント】
国家に依存し寄生する精神

 階層の作法を忘れたか
 昔の篤志家らの美風に習え

                東洋学園大学准教授 櫻田 淳



 一昨年夏のサブ・プライム・モーゲージの焦げ付きに端を発した現下の金融危機は、「百年に一度」と評される世界規模の経済危機を招いたけれども、その危機も「最悪期」を脱したという見方が散見されるようになっている。

 現下の経済危機は、小泉純一郎内閣期に加速された構造改革路線への評価に影響を及ぼした。そもそも、構造改革路線の思想上の核は、「国家に依存し、寄生する精神」を退場させることにあった。それは、明治期に福沢諭吉が説いた「一身独立して一国独立す」の大義にも沿うものであったという意味においては、決して1980年代以降の「流行」ではない。

 しかし、経済危機に辛吟する昨今の風景の中では、構造改革路線の「負」の側面が強調されて語られ、「国家に依存し、寄生する精神」が実質上、容認される向きがある。たとえば、経済危機を彩る「派遣村」や「ネットカフェ難民」などの風景が話題になる度に、「何故、国が支援しないのか」という声が上がるのは、その事例であるといえよう…

 確かに、現在は「経済有事」であるが故に、政府には、有事対応として減税や財政支出を通じて経済の底割れを防ぐことが、喫緊に要請されている。しかし、こうした不運な人々の救済は本来、国家ではなく、教会や寺社、あるいは篤志家の手がけることではないか。

 振り返れば、江戸時代には、たとえば勝海舟の曽祖父にあたる男谷検校と呼ばれた人物は、越後出身の農民で盲人であったけれども、江戸に出て貸金業で成功し財を成した後は、御家人株を買って武士の身分を得た一方で、故地の越後が災害に見舞われた折には、私財を投じて被災民の救済に乗り出している。

 明治以降にも、渋澤栄一、岩崎彌之助・小彌太、大原孫三郎、大倉喜八郎、安田善次郎といった実業家は、様々な社会事業や文化事業に乗り出している。戦後においても、岩崎彌太郎の孫娘である澤田美喜は、終戦直後に「エリザベス・サンダース・ホーム」を立ち上げ、混血孤児の救済に尽力した。松下幸之助も、松下政経塾創立に代表される多くの社会事業を手掛けている。財を成した人々は、その財を社会に積極的に還元するというのが、日本の伝統的な美風であったのである。

 然るに、現在の日本では篤志家が出てこない。「陽炎景気」と呼ばれた2002年以降の戦後最長の景気拡大局面は、「ヒルズ族」と呼ばれた新興実業家を輩出したけれども、彼らの中に往時の実業家のように社会・文化事業に乗り出した事例は、遂に見られなかった。

 無論、現在の経営者は、大企業といえども給与所得者である故に、篤志家を名乗るに足る財を手にしていないという弁明もあろう。ただし、それならば、「人の苦労は助けてやれ」とか「難渋な人にほどこせ」という姿勢は、最低限でも示されるべきではなかったか。たとえば、「派遣切り」は、突然に給料も住む場所も与えずに丸裸で追い出してしまうという無慈悲な風景を出現させたのである。

もし、企業経営者が「給料は払えない。しかし、次の就職先が見つかるまで寮や社宅から追い出すことはない」という程度の余裕を見せたならば、世に殺伐とした空気が流れなかったに違いない。

 とすれば、現下の経済危機が暴き出したのは、近年の日本では、社会の上層であれ中層であれ下層であれ、それぞれの社会階層にはそれぞれ相応しい作法があるという真理が、忘れ去られているという事実なのであろう。

富の恩恵に与るに至っていない中・下層の人々の作法とは、「一身一戸を斉治して恒産有りて恒心有り、之を吾人自治の本拠とせん」という濱口梧陵の言葉が示す通り、自らの恒産を築いて「自尊自立」を達成することである。故に、そこでは、「何故、国が支援しないのか」といった言辞は、極力、口にしないのが「自尊自立」の証明である。

 一方、既に富の恩恵に充分に与った上層の人々に要請される作法とは、その富を広く社会全体の利益のために生かす構想を用意し、その構想を実現に移すことである。これらの作法は、「国家に依存し、寄生する精神」とは、遠く離れたところにあるものなのである。

 「百年に一度」と評される現下の経済危機もまた、何時かは終りを迎える。危機が去った後に、日本は、新たな飛躍の機会を手にすることができるであろうか。それは、「国家に依存し、寄生する精神」を退場させられるかに掛かっているといえよう。

The Sekai Nippo Co.,Ltd. 1975- Tokyo,Japan

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