コミンテルン謀略史論争

  • 2009/01/29(木) 09:38:11

 久々に更新します。
 今月の初めになりますが、何気なく空を見上げると、青空のなか大きな雲の十字架が現われてました。「使徒襲来か!?」などと1人で訳の分からないツッコミを入れてましたが、それぐらい不思議な光景でした。
 それにしても神秘的なこの自然現象…。何かの前触れでしょうか!?


 それでは、本日の記事紹介です。
田母神論文がきっかけとなって、熱い論争が巻き起こっております。これを気に、今までの自虐史観が大きく転換され、この国の歴史観が正常に戻る事を切に望んでおります。

2009/01/29付 世界日報11面 【論壇時評】より
コミンテルン謀略史論争
                   
 火を付けた「田母神論文」
                       【編集委員 森田 清策】

擁護の中西、渡部氏に秦氏が反論


 「田母神論文」が波紋を広げ、同論文の擁護派と批判派によるコミンテルン陰謀史論争に発展している。わが国が太平洋戦争に突入する過程で、コミンテルンや中国共産党による陰謀、そして米国による罠があったのかどうか、という論壇での論争だが、それだけ終戦までの昭和史には、まだ解明されない謎が多いということだろう。昭和の史実に近づくのなら、田母神論文が火を付けた論争は歓迎すべきものだ。

 「日本は侵略国家であったか」と題した田母神論文は、満州事変につながった張作霖列車爆殺事件(1928年)はコミンテルン、日中戦争のきっかけとなった慮溝橋事件(1937年)は中国共産党による謀略だったという説や証言を紹介。また、真珠湾攻撃も「ルーズベルトの仕掛けた罠」にはまったもので、その背後にはコミンテルンのスパイ、ハリー・ホワイトらの工作があったと指摘している。それを裏付ける史料としてコミンテルンと、米国にいたエージェントとの交信記録をまとめた「ヴェノナファイル」を挙げている。

 これが論争に発展したのは、田母神氏の航空幕僚長更迭のあと、現代史家の秦郁彦氏が週刊新潮の取材に応じ、コミンテルンなどによる謀略説を全面的に否定したからだ。「たとえば張作霖爆殺事件は、関東軍の高級参謀・河本大作大佐によるものだったということが史実として確定しています」、真珠湾攻撃がルーズベルトの罠だったという説も「学問的には、誰も認めていません」(同誌2008年11月13日号)と一蹴した。

 この秦氏のコメントを批判したのは、田母神氏を擁護する中西輝政・京都大学教授と渡部昇一・上智大学名誉教授。両氏は「WiLL」1月号に、それぞれ「田母神論文の歴史的意義」と「『村山談話』は『外務省談話』だ」と題した論考を寄せたが、その論考に対して、今度は秦氏が同誌2月号に「陰謀史観のトリックを暴く」を掲載し、中西、渡部両氏に反論するという形で、論争は進んでいる…

 秦氏は「陰謀史観が正しいとしても、だまされたのは愚かだった、次はだまし返そうとリベンジを思いめぐらすだけの話で、泣き言は禁物」という。確かに、“罠にはまった”とすることだけでは先の戦争を正当化することはできない。しかし、だからと言って、戦争に突入する過程でコミンテルンの陰謀があったのか、なかったのか、その検証の重要性が消えるわけでもない。

 具体的な争点を見ていこう。満州の軍閥・張作霖の爆殺は、満州への支配を強めようとした関東軍によるもの、というのが教科書に記されている通説。秦氏も「史実として確定しています」と強調。『マオ―誰も知らなかった毛沢東』(ユン・チアン、講談社)などの書籍を紹介しながら「最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている」とした田母神論文の記述を否定した。

 田母神氏が列挙した史料は一次文献でなく、日本でも翻訳されている一般書籍などであるところに論拠の弱さがあるが、それは同氏が歴史家でもなければ、歴史論文を発表したわけでもないのだから、やむを得ないところだ。

 ところが、中西氏は「確定的な一次資料はまだ出ていない」としながらも、ロシアで最近、張作霖爆殺はソ連軍諜報部によるものだったという「研究や報道」が次々出てきており、「日本軍の仕業」とは断定できなくなったと指摘した。

 その上で、張作霖爆殺は「ソ連が主役」とした英国諜報部の報告書の存在を示し、「こういう文書、史料がようやく今、読めるようになり、それらを検討していくのはこれからの仕事であって、今や『確定している』というのは、まかり間違っても言えない」と、秦氏に反論した。

 これに対し、秦氏は「ソ連説の出所は、はっきりしている」という。「ドミトリー・プロホロフ」というジャーナリストの名を挙げ、彼の書いた内容が『マオ』に引用されたもので、そのソ連説の「否定論」はすでに出ていると主張する。

 その否定論というのが、産経新聞モスクワ支局長による原著者へのインタビューだ。「正論」06年4月号で、プロホロフ説について「旧ソ連共産党や特務機関に保管されたこれまで未公開の秘密文書を根拠としているわけではない」と語ったことが報じられているという。

 英国の報告書については、諸説飛び交っていて、犯人が確定していない段階のものだが、それに対して「河本主犯説を裏付ける資料は同調者の証言をふくめると数十件」に上り、「確度は99%」と自信を示した。

 ソ連説の否定で、秦氏の主張が弱いのは、「プロホロフ説は既出の文献を総合して書いたもの」とするだけでは、説に根拠がないとは言い切れない点だ。また、ソ連軍諜報部による可能性を無視できないとする中西氏の根拠は、プロホロフ説だけではないことを示唆している。秦氏へのさらなる反論を期待したいところだ。

 もう一つ、争点を見てみよう。田母神論文で“コミンテルンのスパイ”ハリー・ホワイトが「日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人である」とした説だ。同論文は、ハリー・ホワイトを「財務次官」と記したが、秦氏は「次官ではなく財務省の一部長に過ぎないし、ルーズベルトとハル国務長官がホワイトの関わった財務省案を参考にこそしても、ホワイトがハル・ノートを決めたなんて言い過ぎですよ」と週刊新潮にコメントした。

 これに対して、渡部氏は「コミンテルンの影響下にあったハリー・ホワイトが起草したものを、ルーズベルトが採用し、日本の野村大使との交渉経過を無視していきなり突き付けてきた、というハル・ノートが出される経過に関しては、今では疑う余地がありません。ホワイトはコミンテルンの手先であったために、戦後は世界銀行のアメリカ代表になるほどの重要人物でありながら、その疑惑のために自殺しました」と、秦氏と真っ向から対立する。

 渡部氏の反論を受け、秦氏は「ハル・ノートは間違いなく国務省極東部で作られたものであり、ソ連製ではなく」という、『ハル・ノートを書いた男』(文春新書)の著者、須藤真志氏の記述などを紹介して、再反論している。

 週刊新潮1月15日号で、ジャーナリストの櫻井よしこ氏は連載コラム「日本ルネッサンス」に、「日中戦争は日本よりも、むしろ中国が望んでいた。中国は日本よりも戦争をしたがっていた」という林思雲氏の言葉を紹介した上で、次のように書いている。

 「日中戦争は、決して日本の主戦派だけが遮二無二進めた侵略戦争ではない、むしろ中国が望んだ戦争だったという刮目すべき氏の指摘は、当時の中国社会、国民党、共産党、コミンテルンの動きなど幾多の具体的な事実によって支えられている」

大戦の実相解明に期待


 戦争は相手があって始まるもので、その相手にも焦点を当てた検証でなければ、本当の歴史研究とはならない。冷戦終結後、それまで極秘にされてきた資料、特に国家にとって都合の悪い資料も公になりつつある。

 これからも公開されるであろう新しい資料が定説を変える可能性は否定できない。特に、日本が太平洋争に突入する過程で、コミンテルンがどう関わったのか、関わらなかったのか、については弊紙の読者なら関心が高いテーマだろう。さらなる論争の発展を経て、昭和史の実相が明らかになることを期待したい。


The Sekai Nippo Co.,Ltd. 1975- Tokyo,Japan

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コミンテルンの陰謀

以前、当ブログ記事、「必見 田母神論 完全版」で紹介した動画の一部が、最近、他のブログでも紹介されていた。

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  • 2012/07/15(日) 13:04:23

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